ラッセル泥棒
通勤電車の中でGoogleニュースを読んでいたところ次の記事が流れてきました。
ラッセル泥棒という話を読んで、昔三つ峠に登った時のことを思い出しました。
友人と二人で最寄りの三つ峠駅を降りると無茶苦茶寒かった記憶があります。
登山口に行くにしたがって雪も段々増え、登山口ではそれなりの積雪量になっていました。と言っても、腰まであるとかそんな話ではないです。
もなか雪
まだ誰も登っていなくて、登山道は雪の表面が凍って硬く、下は柔らかい、もなか雪という状態でした。子供の頃は楽しいものでしたが、登山で歩くとなると、思いのほか歩きにくくて疲れるものでした。
普通に歩こうとすると上の硬い層が邪魔なので、足を一歩一歩いちいち持ち上げないといけません。そして踏み抜くときにも微妙に力がいるし、踏み抜くたびに微妙にバランスを崩してそれでさらに体力を消耗するのかもしれません。あとは、引き抜くときに足が硬い層に引っ掛かっていたような気もします。
後続者
二人で交代しながら登っているといつの間にか後ろに単独行のお姉さんが。先に行きますかというと後ろが言いという。そりゃそうだと思い続行。
登山を続け、大分疲れてきたときには、さらに後ろに若いカップルが。いい加減疲れてきたので、男性に先にどうぞというと嫌だという。マジか。男なんだから彼女にいいとこ見せろよと昭和の男は思いました。友人も全く同じ思いだったそうです。
二人だけだったら適当に休憩しながら登るところでしたが、後ろの三人からの圧力で思うように休むこともできずひたすら耐えて登ったような気がします。
そういうわけで、屏風岩のところで、もういい加減限界でギブ。もう歩けんという事で、二人で休むことにしました。
疲労困憊
そのあとの最後の一登りをするときには、もう疲労困憊でヘトヘト、登りでこれほど体力を失って帰りは大丈夫なんだろうかと不安に襲われました。友人も全く同感でした。
上の小屋に着いた時には一晩泊って行こうかと思ったくらいです。まあ、それでも泊まらずになんとか帰ってこれたわけですが。
なんというか、ラッセル泥棒というよりはもはやラッセル強盗といった方が良いような話だったなと今回思いました。
そういえば、ありがとうと言われた記憶もないです。単に忘れただけか、意識が遠のいて聞こえなかっただけかもしれませんが(笑)
追記
あの当時は若かったので言えなかったけれど、オッサンに昇格した今なら平気で、いやいやそうおっしゃらずいい経験ですから、と交代したと思います(笑)
あと、今思ったのは、彼らはもなか雪の歩行がどれほど大変かわかっていなかったのだろうという事です。一回前を歩いてもらえば、これはたまらん、では交代で行きましょう、となったかもしれません。
そういえば、清八峠を抜けて笹子駅まで抜けた時も、霧雨が降る中のアップダウンで、クソ辛かった記憶があります。反対側に抜けた時にようやく解放されたと思いました。
それからだいぶたってから、妻を連れて三つ峠に登ろうとしたら登山口に警察がいて、登山者に注意を促していました。
警察官に、清八峠は大変だから行っちゃだめと言われ、ああ、やっぱりそうなのかと思いました(笑)
ちなみに三つ峠駅から笹子峠駅までのコースタイムは8時間となっています。
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